夏が来れば思い出す〜♪♪

今日も暑いですね。
日差しが痛くって、夏がニガテなわたしは、
昼間の外出を極力避けてしまう生活を過ごしているこの頃。



思い返せば学生時代(18〜19歳ぐらいの時)
わたしの親友が、滋賀県大津市に住んでいて、
夏休みになると、親友の自宅(国宝も所有する大きなお寺)に
住み込み同然で、居候生活を送っていました。



当時のわたしは、厳しい両親のもと、
外泊なんてもってのほか大学に入っても、門限が10時。
その他、細かくいろいろな決まりごとがあり、ルール厳守が基本という
家庭環境を過ごしていました。



私立の学校へ通っていた為、友達も遠方(姫路・大阪や京都・大津)から通ってくる子も多く、友達の家に遊びに行っても、いつも門限が気になり、あまりゆっくり楽しむことが出来ない状況でした。



ただ、唯一許してもらっていたのが、大津の親友の家に泊まることでした。
わたしの両親的には、「親が住職であり、お寺をされているのだから、安心である」と
考えていたのでしょう。



親友の自宅のお寺へ修学旅行生が宿泊に訪れた際には、
食事の配膳のアルバイトもしましたし、
親友のご両親やお兄さん達にも、妹のように、かわいがってもらったりして
健全な居候生活を過ごしているかに思えました。



しかし・・・



遊びたい盛りの年頃。



親友のご両親へ、就寝前のご挨拶を済ませると、
こっそりと、部屋を抜け出し、夜な夜な遊びに出掛けていました 笑
(部屋が離れにあり、少々のことでは気付かれませんでした)



勝手に拝借してきた親友のお兄さんの車で、あてもなく、ドライブをしたり、
みんなで、船舶免許を取得して、ジェットスキーを始めたり、
明け方まで、琵琶湖の湖畔で、おしゃべりをしていたり、
花火はもちろん、恐怖を克服する為に肝試しに出掛けたり、
たまに倒れるまで飲んでみたり(未成年なのに!)
祇園祭りに初めて行ったのもこのころでした。



今から考えると、ホントたわいもないことだったのですが
目に入る全てのことが、刺激的で、
その頃のわたしにとって、縛られた家庭環境から解放され
自分に戻れる貴重な時間でした。



神戸に帰ると、ちょうどそのころ、
「将来に役に立つ資格を取得しなければならない」と勧められ、
(現在の時点で、まったく役立たずの状態です 笑)
意味もわからないまま、宅地建物取引主任者資格を取得するために、
専門学校へ通うこととなり、(社会人が中心で、最年少入学でした)
週4日は、大学へ通いながら夜は専門学校へ、残りの3日は、
逃げるように大津の親友の自宅へ・・・
そんな二重生活を送っていたのです。



興味があって始めた勉強ではなかったので、
正直、嫌で嫌で毎日、泣きながら勉強していました。
試験まで1ケ月と迫ったころには、夢の中でも問題を解いてたりするぐらい。



そんな状況下で、まさかの一発合格を果たした時には、
「いつ勉強してたの?」と驚かれたりもしました。
自宅と専門学校にいる時以外は、一切、勉強をしないと決めていましたから。



一番信じられなかったのは、わたし自身でしたが・・・笑



「楽しい時間と、厳しく辛い時間を、同時に味わうことになった、ほろ苦い時代」



何をするにも、全力疾走、
「若さゆえ恐れを知らない無敵パワー」とでも言いましょうか、
そんなみなぎる、底知れぬ力があったように感じます。



夏の日差しを感じると、その頃のわたしを思い出すのです。
ホントいい思い出です。



「あれっ、わたしいつから、夏がニガテになっちゃったのかしら???」