変わりゆく街

先日、わたしが19歳まで、住んでいた場所へ行く機会がありました。

当時、実家があった場所なのですが、現在は実家も違う場所へ引っ越しをしてしまったので、そこへ行くのは、15年ぶりのことです。



当時の家の裏にあった公園、よく探検しに行っていた山や池、通っていた小学校、休み時間に遊んでいたグランド、通学途中に友達といろいろな、話をしながら歩いていた遊歩道・・・



わたしの学生時代は、ベビーブームだったこともあり、ひとクラスが40人・学年で6クラスもあり、全校生を集めると、1000人以上、朝の全体朝礼では、広いグランドが生徒で埋まる程でした。
(今では、生徒も、少なくなってしまったとのことです)



本当に、懐かしい場所ばかりで、その当時のことが鮮明に目に浮かびます。
思い出の雰囲気に浸りながら、記憶を辿る道を歩きつつ、小学生の時の目線とは違う光景を楽しんでいました。



子供の頃、もらったばかりの、おこずかいを握りしめて、おやつを買いに走っていた、商店街に着いたころ、自分のイメージとは全く変わってしまった風景が、そこにはありました。



大好きだった商店街。
仲良しだった、おばちゃんが番頭をしていて、ローラースケートが流行った時には、無理を言って一番に仕入れてもらったこともある、スポーツ用品&おもちゃ屋さんが見当たらない。
いつも両親が留守にしていた時を見計らって、内緒でこっそりと出前をお願いしていた、美味しかったお寿司&うどん屋さんさえも・・・
人の気配もなく、所々でシャッターが閉まったまま、、、
まるで、時代がそこで、止まってしまったかのよう・・・
驚きでした。。。



当時のまま、多くの買い物客で賑わい、活気に満ちた声や交わされる会話の気配が、次々と思い出され、その記憶がさらに寂しさを誘います。



「最近は、ローカルコミュニティが気薄になってきた」
そんな話もよく耳にするようになりました。



地元でしか知りえない情報や、人や物の流れがその場所に生まれ、人と人との繋がり、助け合いの心が、買い物を通じて、交流されていたはずなのです。



世代交代したこの街に、商店街としての機能は、もはや必要ないのでしょうか?



「こういう時代だからこそ、必要としている人達がいて、役に立つ事が出来る何かがあるのでは?」と、わたしは思うのです。




わたしを育ててくれた、大切な街が、また新たな姿で、いきいきと蘇っているイメージを描きながら、街を後にしたのでした。