震災が起こったその日

東北震災から、100日を超えました。
ニュースで観ているかぎり、復興へは険しい道程のようです。
一日でも、早く人々が穏やかな日常に戻ることが出来ればと願っています。



改めて、震災が起こったその日のことを思い出してみました。



日頃の感謝を込めて、年に2度程ですが、一泊旅行に家族を連れていくのが恒例となっていて、
旅行の企画から、スケジュール調整、観光地の下調べ、現地までの往復の運転etc.・・・
をわたしが担当し、その日は出来るかぎり、家族にリラックスして、楽しんでもらうように心掛けています。



今回は、奥飛騨にある、乳白色の湯で有名な白骨温泉へ行く予定にしていました。
いつもは、遠方であっても、車で現地まで行っていたのですが、たまたま、新聞の折り込みの、旅行会社の企画で、手頃なプランを見つけ、それに、申し込みをしていました。



もちろん、周辺地の観光の下調べも万全な状態にしてありました。
「あとは、出発日を楽しみに待つのみ。楽しみ〜☆」
そんな気持ちでいました。


出発日まで、一週間というところで、旅行会社から
「人数が、集まらず、企画が中止になりました」
との連絡が届きました。
「がっかり・・・・白骨温泉モードになっていたのにぃ・・・しょぼん」



でも、ダメものはしょうがないので、急遽、違う企画を考える事にしました。



①何が何でも白骨温泉へ行くプラン
②近場の淡路島温泉で魚料理を満喫し、ゆっくりするプラン
③以前より興味を持っていた、熊野古道ハイキング&温泉&神社参拝プラン



その中で、家族会議の結果、③の熊野古道に決定し、
まずは、宿泊するホテルの予約をすることにしました。
最初に、目を付けたのが、熊野古道からも車で30分圏内にある白浜温泉でした。


白浜温泉は大きな温泉郷で、沢山のホテルや旅館があります。
ネット検索しても、どこも、魅力的な雰囲気で、目移りしてしまいます。
散々時間を掛けて検索していたのですが、なかなか、予約が出来ずにいました。



通常なら、インスピレーションですぐに決定するタイプなのですが、なぜか、不思議なことに予約の画面で、手が止まるのです。
結局、その日、予約を入れるのをやめました。



次の日、「海に沿ったホテルはダメ」というイメージが頭に浮かんできたので、
観光予定地の、熊野本宮神社にほど近い、川湯温泉を検索し、ホテル予約することにしました。



川湯温泉は、大きな川のほとりに、穴を掘ると、温泉が湧いてきて
天然露天の仙人風呂(もちろん混浴です)で有名です。



いよいよ迎えた当日、朝4時に起きて、母親、妹とわたし、女3人旅が始まりました。



和歌山は、わたしのお気に入り天文台があったりするので、何度も行っていることもあり、ルートはばっちりです。
阪神高速湾岸線⇒阪和道⇒御坊道路⇒白浜24号線
和歌山の景色を堪能する為に、海岸経由を選択しました。



朝8時すぎには、白浜温泉付近で、たまたま見つけた海岸線にある
ノスタルジックな雰囲気の喫茶店で、朝食。
(朝早すぎて、開いているお店が無く、神戸なら、まず入らないなぁ〜って感じのお店でした 笑)
この店主(男性)が、お話好きで、話をしている時、手が止まるので、
なかなか、朝食が出てこず、最後は、自分の昔のアルバムを出して、ひとつひとつの説明を受けたりで、かなりの時間、ここで滞在することに 笑



まずこの日の行動日程として、
熊野那智大社熊野速玉神社⇒湯の峯温泉⇒ホテル(川湯温泉
と決めていました。



熊野那智大社に、10時前に到着、滝の大きさに圧巻され、その後、登り坂を歩いて20分の場所にある、拝殿でお参りしました。
拝殿は高台にあるので、遠目に、滝も観えます。

途中、晴れていた空から、雪が降ってきて、太陽の光に雪が照らされて、
キラキラと輝いて、とても幻想的な光景でした。
ここでは、1時間30分ぐらいの滞在。



その後、熊野速玉神社まで、24号線をさらに、南下。
道沿いに、お寿司屋さん・回転寿司屋がいたるところで見かけました。



熊野速玉神社まであと、10分ぐらいの所で急に妹が、


「これだけ、お寿司屋激戦地区ってことは、絶対に魚が美味しいんだよ〜
食べたいー」


と言い出し、店の作りで、一番美味しそうな雰囲気のあるお寿司屋さんへ入ることにしました。(もちろん回転寿司屋さんです)



入ってみると、高級感があり、お店も広くとても綺麗でした。
メニューには寿司ランチというのがあり、それをオーダー。


トロ握り・蒸しアナゴ握りを含めた盛り合わせ、サラダ、うどん、茶碗蒸し、
デザート、コーヒーが付いて、¥1000で、すごく美味しくて、お得でびっくりしました。
あまりの美味しさで、写真を取るのを忘れて、夢中で食べていました。



また思わぬ場所で、時間を過ごしてしまったことと、
なぜかまた、例の胸騒ぎがして、目の前にある熊野速玉神社に寄るのをやめて
湯の峯温泉へ向かうことにしました。



湯の峯温泉は、歴史が古く熊野古道と同じく
世界遺産に指定されている日本最古の温泉「つぼ湯」があります。
濁った湯は一日で7回も色を変化させ、その昔、熊野大社へ訪れる参拝者が身を清めたと言われています。



「つぼ湯」は、川沿いに建つ藁ぶき屋根の湯小屋で、小さく、
大人2人が入ると、いっぱいになってしまう為、わたし達は、つぼ湯の前にある、「老舗旅館あずまや」で、お風呂を借りることにしました。



ここは、事前に調べてあり、今回の旅行の大きな楽しみの一つでありました。



昔ながらの、ひのきの湯船に浸かり、見上げれば、
ふきぬけ天井の太い梁が重厚さを感じさせます。
木の香りと硫黄の香りが混ざり合う、癒しの温泉でした。
ぜひ、一度は訪れていただきたい、すばらしい温泉です。



癒しの時は流れ、気が付くと3時を回っていました。
脱衣所で、着替えをしていると、外から、サイレンの音が聞えてきます。
「・・・・・」何かを放送しているようですが、聞き取れず、小さい村なので、村の放送だろうと、それほど、気にも留めず、ゆっくりと、寛いでいました。



休憩を終え、気持ちも軽やかに、旅館を後にして、車を置いてある駐車場まで歩いていると、地元の人と思われる、お年寄りの男性に、呼び止められました。



「おまさんら、どこからきた?」



「神戸からです」


「泊まりか?」


「はい、その予定です」


「もしや、白浜に泊まりじゃないやろな?」



「いえ、川湯温泉です」



「わしも、よくわからんのじゃが、津波警報が出てて、24号線前線通行止めになっとる。避難勧告も出てるみたいじゃよ。気を付けなはれや」



「えぇぇーーーーー津波?!」



一瞬、意味がわからず、言葉を失いました。
お年寄りの男性からの情報だと、わたしたちの宿泊ホテルに関しては
問題ないとのことですので、とりあえず、ホテルに向かうことにしました。



「あの、脱衣所で聞いたサイレンは、この知らせだったんだ」



無事にホテルに着いて、チェックインを済ませ、部屋のTVを付けてみると、
関東大震災の映像が映っていたのです。
津波が押し寄せている映像が、この世のものと思えず、映画を見ている感覚でした。



白浜近辺は、聞いていた通り、前線通行止めで、住人、観光客については、
最寄りの高台への避難勧告が出ていました。
しかし、その時は、まだ、こんなにすごいことになっていることも、実感がなく・・・



「白浜のホテルやったら、今頃、体育館やったね〜。
 朝食を食べた喫茶店のおじさん、無事に避難出来たかなぁ〜?」


そんな会話をしていました。



「時折感じた、あの胸騒ぎは、もしかしたら、この事を察知していたのかも?」



夕食を終え、満天の星空の下、露天風呂の川湯につかり、胸の奥に浮かんできた東北地方の人達に対する少しの罪悪感とともに、夜は更けていきました。



次の朝、起きると、事態は一変、ニュースも深刻なものへと変わっていて、
死亡、行方不明者の数がどんどん増えていく状況となっていました。



ホテルのロビーには、早々に朝食を終えた、関東地方からの団体客が
集合しており、添乗員さんが、この後の説明をしていました。
観光を全て取りやめ、とりあえず帰れるところまで、帰るとのことでした。



その頃わたし達は、ホテルのフロントの人と
相談の結果、奈良へ抜ける道に関しては、通行止めになっていないので、
予定通り、熊野古道ハイキングに行くことにしました。



車を熊野大社の駐車場に置き、そこから、熊野古道の一つで、一番初心者向きと言われている「熊野古道中辺路」の入り口へ送迎してもらい、ハイキングスタート。


熊野本宮大社まで、約2時間30ぐらいの距離です。
熊野本宮大社は、日本代表サッカー協会のマークにもなっている
八咫烏で有名で、大変格式のある神社です。



森の中は、うす暗く、古道と言われるように、昔ながらの森がそのまま残っている感じで、空気も、凛としていて、時々風に乗って、香ってくる、ひのきの香りが爽やかに感じます。



わたし達3人で歩いていたのですが、震災の影響か?朝が早かったからなのか?誰一人、すれ違う人がいませんでした。



世界遺産、貸切〜☆」



とても贅沢な気分を味わっていました。
今から思い返しても、とても信じられない状況です。



道端には、地元の人達が、訪れる人々を楽しませる為の
しかけ?!老人夫婦の人形(時間が経つと人形の腕が動く)
があったり、途中のお茶屋さん(休憩所)では
語り部のおじさんとの出会いがあったりで、とても充実した時間を過ごせました。


熊野大社まであと、1時間ぐらいのところで
一人の女性と出会いました。
その女性は東京から、熊野古道を制覇するために来ていて、
昨日の、震災で、ふるさとの福島の友人とも、
東京にいる息子さんとの連絡も、電話が繋がらない状態。
帰る新幹線も停まっているし、帰ることも出来ないので、
不安でしょうがないけれど、しかたなく今日も、
熊野古道を歩いているとのことでした。



女性一人ぼっち、かなり、心細かったことでしょう。
わたし達と最後の目的地の熊野大社まで、同行することにしました。
熊野大社では、沢山の人が参拝に訪れていましたが、
女性の話を聞いて、急に現実に触れた感じがしました。





「これは、ただことじゃないんだ」 と。。。



わたし達は、

「この震災で被害に合われた人達が、やすらかでありますように」

と一心に祈りを捧げました。
その時のわたし達は、ただただ、祈ることしか、出来ませんでした。



そして、その女性ともお別れをし、神戸への、帰路を急ぐことにしたのでした。



今回の旅行は、珍道中というか、結果的に、わたし達には、
何の被害もなく良かったのですが、
この日を選び、最初の旅行の予定地だった場所が変更になり、
偶然にも、この熊野の地に来させていただたいたのも、
何かの意味があるような気がしてなりません。



その意味の答えは出そうには、ありませんが、
自分を取り巻くすべてのことを、愛おしく感じる、
貴重な体験になったことは、間違いありません。




「こうして今日も無事に元気に過ごせることが何よりの幸せ」







八咫烏(やたがらす)とは>

八咫烏とは熊野の大神(素盞鳴尊)のお仕えです。
日本を統一した神武天皇を大和の橿原まで先導したという故事に習い、導きの神として篤い信仰があります。

日本の歴史に於ける八咫烏の出現はきわめて古く、『古事記』『日本書紀』『延喜式』を始め、 キトラ塚古墳の壁画や福岡県珍敷塚古墳横穴石室壁画、千葉県木更津市高部三〇号噴出土鏡、世界最古の油絵である玉虫厨子法隆寺蔵) の台座にも見ることができます。

八咫烏の「八咫」とは大きく広いという意味です。八咫烏は太陽の化身で三本の足があります。
この三本の足はそれぞれ天・地・人を顕わすと言われています。
天とは天神地祇のことですなわち神様のことです。地とは大地のことで我々の住む自然環境を指します。

つまり太陽の下に神様と自然と人が血を分けた兄弟であると云うことを二千年前に示されていたのです。
サッカー協会のマークに八咫烏が使われているのは、天武天王の故事に習い、 よくボールをゴールに導くようにとの願いが込められていると考えられます。